【SS】由利と三津木「名なしの想い」
昼間っからデートして手をつなぐだけの話。本当にそれだけの話。
他のとどゆりとは別軸です。みつゆりというのもおこがましい感じ。
名なしの想い
* * *
その感情を、なんと呼ぶべきか迷っている。
友人からチケット二枚もらったんですけど、と彼がはにかみながら言うので、久しぶりに映画館へ足を運ぶこととなった。
古いミステリー小説が原作で、時代設定などが大幅に変更され結末も違ったものになっているという。それほど期待はしていなかったが、断る理由もなかった。
「それじゃあ、明日の夜に」
最後に他人と映画を観たのはいつだっただろう。記憶を辿りかけてやめた。「明日」に思い出は必要ない。
平日の昼間、古びたミニシアターに客は数人程度。
ポスターを見ながら、彼は脇役の女優が好きなのだと照れくさそうに明かし、「もちろん映画も楽しみですよ!」とあわてて取りつくろう。その流れで原作は知っているかと尋ねられ、彼が生まれる前に映像化された作品を劇場で観たと答え目を丸くされる。
ただそれだけの他愛もないやりとりで、妙に華やいだ気分になるのが我ながらおかしかった。
後ろ寄りの席を選び、腰を下ろす。愉快そうにこちらを眺める意味を問うと、いえと首を振って自分も隣に座った。
「先生の脚が長すぎて前の席にひざがぶつかるんじゃないかって心配してたんです」
「心配しているようには見えないな」
「そうですかぁ?」
警戒心の強い人間より、遠慮のない人間のほうが好ましい。気づけば周囲をそういう性質の人間が固めることになる。目下、彼はその最たる存在だ。
確かに、ひとりぶんの座席は狭く居心地のよい空間とは言いがたい。しかしその窮屈さも含めての「観劇」と思えば、彼と肩が当たっても気にはならなかった。
映画自体は、原作の再現よりも刺激的な展開と演出に主眼を置いているらしく、ホラーに近い場面が何度かあり、そのたびに隣の彼がびくりと身を震わせていた。
本物の死体も現場も見慣れていると思っていたが、フィクションはまた別物だろう。お化け屋敷のようなものかと微笑ましく思う。
ひときわ派手な音と猟奇的な映像の明滅に、彼が息を飲んだ。その拍子に、肘掛けへ置いていた手が重なる。
「!」
触れてしまったことに驚いたのか、跳ねるように一瞬離れた手は、しかしすぐにまた重なった。今度は遠慮がちに。
冷や汗で冷たくなっていた手が、少しずつ熱を取り戻していく。
物語は収束に向かっているというのに、重なった手から伝わる脈動は速いままだ。こちらも意識はすでに画面ではなく、見下ろすこともできない片手に向いていた。
エンドロールのあいだもずっと、彼はその手を動かさなかった。
劇場が明るくなり、わずかな客がそそくさと出ていく。彼は立ち上がって伸びをしながら、「なんだかおなかへっちゃいましたねえ」と何事もなかったかのように鞄を肩に掛けた。こちらは見ない。
あえて目を逸らしているのだと気づきながら、こちらも知らぬふりをする。手の甲に彼の熱がまだ残っていることにも。
「さて空腹とのことだが、きみのお薦めの店はあるかな」
映画館を出たところで、彼を見返った。少し遅れてついてきていた彼は、はっとしたように顔を上げ、両手で鞄のストラップを握りしめる。
「先生」
彼のまっすぐな眼差しに、つられて息が止まった。
「手……つないでもいいですか」
この真摯な瞳からは逃れられない。覚悟を決めなければ、互いに不幸になる。
観念して、手を差し出した。
この青年が向けてくる……いや、こちらが抱えるこの感情に、なんと名をつけるべきか。
迷いは強くなるばかりだ。
* * *
その「想い」を表現する言葉を、ずっと考えている。
暗闇の中で偶然、手が触れた。
いけないって思った。失礼だからすぐ離れなきゃって思うのと同時に、なぜか離したくないという気持ちが湧いてきて、映画どころじゃなくなった。
そもそも、それほど観たい映画だったかといえば、しばらく待って配信でもいいかなというくらいの期待値で、好きな女優は出てるけどメインじゃないし、こんなに脅かされる展開だとは思っていなかったし(スプラッタは大丈夫だけどホラーはちょっと苦手だ)、今ぜんぜん集中できていない時点で内容はもう問題じゃない。
いちおう作家の端くれとして、「敬愛」と「恋慕」の差異くらいはわかっているつもりだ。
確かに先生は見た目だけでも十分に魅力的で、その身体に触れたらどうなるかと興味もなくはないけれど、どちらかといえば単純な好奇心に近い。自分とどうこうまではさすがに考えられない。そういう下世話なリアリティとは無縁の人だと思っている。
ほんとうに同じ人間なのかなって思うことさえある。神秘的で、侵しがたくて。なにを考えているか読めない瞳に引きずり込まれそうになるから、子供っぽくはしゃいでおどけて、自分を現実にとどめようとする。
今日だって、もらい物と言うときに前売り券だと不自然かもしれないと、金券ショップでわざわざ招待券を買って。二枚あるから一人で行くのはもったいないなんて苦しい言い訳で縋って。
そこまでして先生と映画を観たかった理由も、今となってはよくわからない。このレトロな劇場に二人で来たかっただけかもしれない。
ただ手が重なったとき、その熱にはっとした。自分のやわな手とは全く作りがちがう、力強い大人の手。血が流れている、呼吸をしているという実感さえなかったのに、自分よりも体温の高い肉体がそこにあることに気づいてしまった。
それから先の、スクリーンで起こったことなんてほとんど覚えていない。
外に出るなり白い日差しが眉間を刺す。正気に戻れ、と言われている気がした。
だから食事はどうするかと尋ねられたとき、なんでもない顔で近くの店を検索すればよかったんだ。なのに、切りっぱなしのスマホの電源すら入れる余裕すらなく。
「先生」
やめとけ、と冷静な自分が言う。引かれるだけだし、最悪クビって言われるかも。今の関係を壊すようなこと……わかってる、わかってるけど。
こちらを見返す瞳はいつもどおり優しくて、つい引き込まれた。
口をついて出てきたのは、大仰な告白でも生々しい欲望でもなく。
「手……つないでもいいですか」
たった数秒の沈黙が永遠に思えるってこと、本当にあるんだ。
ポケットから出された手がコートの裾を払って、そして恭しく伸べられた。シャルウイダンス?なんて台詞が勝手に脳内再生されるほど、優雅な所作で。
自分から言ったくせにあわてて袖口で手汗を拭って、震えないようにおそるおそる手を出す。
指が触れると、先生がかすかに微笑んだ。
「お手……に見えるな」
「ちょっと先生!」
思わずツッコミを入れそうになった勢いで、その手をぎゅっと握りしめていた。自然と距離が近くなって、顔を上げると優しい目がすぐ近くにあって。ごくあたりまえに、この距離を許されているのだと気づく。
「……いいですよ、どうぞ散歩に連れていってください」
肩をすくめてみせれば、彼はそれこそダンスでも始めるかのようにすいとぼくの手を引いた。
「敬愛」は消えていないけれど、「恋慕」にも似た胸の高鳴りは抑えられない。でも手をつないで……肌が触れ合っているだけで、充足感は過ぎるくらいだった。くすぐったいような、ふわふわした感覚。
その「想い」に名前をつける必要なんてないのかもしれない。
今のところは、まだ。
* * *
映画観てる最中のくだりがなかなか進まなくて、合間に等々力で6本も書いてしまった…
三津木くんは1本書いたら気が済んだので、というかこれ以上の進展はないのでおしまいです。