【SS】コウとカナロ
最終回おつかれさま記念。
例によって左右は曖昧。
今さらだけどコウアスメルが20歳前後、カナロは27歳くらいだと思っている。
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夜、部屋を抜け出して外へ出る。
村のはずれにある湖の岸へと向かうと、そこには先客がいた。
「カナロ!」
「コウ? どうした、こんな時間に」
「カナロこそ……」
言いかけて、彼が水の中に立っているのを認める。
「さっきまでオトと話していた」
陸のリュウソウ族の村に、なぜかその男はずっといる。海もない山奥で、アスナやコウとともに過ごして町へ出る様子もない。それでも水が恋しくなることはあるようで、たまにこの湖で泳いでいるのを見かけた。
こんな夜でもとは思わなかったが。
「それで、どうしてここに?」
「ん?」
改めて尋ねられ、コウは苦笑しながら目を逸らした。口に出すのは憚られるのだが、うまい嘘も別の話題も見つからない。
「……この景色」
目の前に広がる黒い水面。昼間は青く美しい湖だが、今は黒い鏡のように妖しく森と夜空を映して煌めいている。
「景色?」
言いよどんだが、一歩前に踏み出して口を開く。
「エラスの中で見た世界に似てて、それで……」
もう一歩。足下の草が濡れているのを靴の底で感じる。あのときは五感もなにも消え失せていた。
「哀しいけど、ちょっと落ちつくんだ」
なにもない、空虚な世界。最大の敵と向き合いながら、自分の心には怒りも憎しみもよぎらなかった。
「コウ……」
また歩みを進めたところで、突然カナロが腕を掴んでくる。
「だめだ、行くな」
「え、なにが?」
きょとんとして相手を見やるが、彼は真剣そのものの顔つきでこちらを睨みつけていた。
「陸の者には、水中は生きる場所じゃない。夜の海に惹かれて命を落とした人間を幾人も見た」
「だいじょうぶだよ、おれ……」
このあたりは何度も来ているから落ちることなどないし、足をすべらせて落ちたところで溺れる歳でもない。そう言い返そうと思ったのだが、カナロの顔を見て口をつぐむ。
カナロはコウの手を握り直した。水の中にいた彼の手はひんやりと冷たい。
「この手は離さない」
「……うん」
二人は手を握り合ったまま、黒く光る湖面を眺める。風もない夜は恐ろしいほどに静かだ。さっきまではカナロの声がしていたかもしれないが……
「オトちゃんとなんの話?」
「まだここにいると。オトもしばらくメルトと発掘を続けるそうだ」
「へえ……あ、でもカナロは『婚活』行かなくていいの?」
コウにとっては単純な疑問だったが、カナロは眉を寄せる。
「迷惑だったか」
早く帰れと言ったように聞こえたらしい。あわてて手を振った。
「ううん、ぜんぜん! カナロがずっといてくれてうれしいよ!」
戦いが終わってから、彼はあれほど熱心だった「婚活」を放棄してしまったかのように、ただこの村にいる。戦いがなくなっても種族繁栄という彼の悲願は変わらないはずで、トワのようによそへ出かけていったほうがいいような気がするのだが。
「おまえたちだって、いつかは子孫を残すだろう」
カナロが少し拗ねたような声で返してくる。彼が自分たちに対してそんなことを言うのは初めてで、コウは面食らった。
「おれは……まだ結婚のこととか考えられないな。メルトやアスナもそうだと思う」
「アスナもか……」
ぽつりと呟いたカナロの心境は、コウにはわからない。ただ、冷たい手が少しずつコウの体温であたたかくなってきているのを感じる。この手が離れていったら寒さを感じるだろうと思う。
「……海のリュウソウ族は、絶対に男と女が結婚しなきゃいけないの?」
「なに……」
唐突な話題だったのか、カナロは驚いた顔を向けてきた。
「陸では違うのか?」
違うとも言いきれないが、カナロの必死さに全員が呆れるレベルで驚いていたことは事実だ。海ほど重要ではない。
「いっしょに生きる相手は誰でもいいんだって、マスターは言ってた。男でも女でも、人間でも。だけど誰かはいたほうがいいって。長い一生を生き抜くのに必要だからって……」
それが普遍的な事実なのか、師の個人的な見解であるのかはわからない。どちらにしてもそのころのコウには「一人でない」ことはあたりまえすぎて、実感がわかなかった。
「おれ、メルトとアスナがずっといっしょだったらいいなって思ってたけど……」
メルトもアスナも、自分自身の道を見つけた。そこにコウはいなくてもよくて、喜ばしくはあるけれど少し置いていかれたような気分もある。
「おまえは、どうするんだ」
カナロに改めて問われ、ふと考えてみた。いろいろやりたいことはあるけれど、この先ずっとつづけていくとなると……
「おれは……誰かのそばにいてあげたい。エラスみたいな、さびしい誰かのそばにいて……」
なんにもしてあげられないけれど、ただそこに寄り添っていられるなら。
手を握る力が強くなり、思わずその手を見下ろす。
「カナロ?」
「……だから、おまえはこの景色を見に来るんだな」
あのとき見た世界を。
「わからない。でもあのとき、このままエラスのそばにいてあげたいって思ったんだ」
もう仲間の元に戻れないと思っていた。それなら、この哀しい魂と共にあるのが自分の使命なのかとも感じていた。
「ねえカナロ、おれ水に落ちたりしないから、もう手離していいよ、痛くなってきちゃっ……」
「だめだ」
彼はあいかわらず厳しい表情で、湖面を睨みつけている。あの戦いを思い出したからかもしれない。コウはため息をついて肩をすくめた。
「じゃあいいよ、ずっと握ってて。そしたらおれもずっとカナロのそばにいられるから。そしたらカナロもさびしくないでしょ、結婚相手が見つからなくても」
少しだけ皮肉のつもりで言った言葉に、自分でそれもいいなと思う。だがカナロは機嫌を悪くしただろうか、とこっそり隣を窺うが、思いもよらない言葉が返ってきた。
「おれのそばにいたら、もうこの景色は必要ないか」
「え?」
彼はなにか考え込んでいるようだった。
「戦いの後から、これまでを省みていた。今まで『運命の出会い』だと思っていたのは、全部錯覚だったんじゃないかとな」
「なにそれ……」
笑いかけたコウは、いつもどおりに真面目くさったカナロの顔を見て頬をひきしめる。
「それでもまだおれは、運命を信じていた。おれが求める相手がいるはずだと。今まで気づかなかったすぐ近くに……でも、彼女がおれを求めているかまでは考えていなかった」
カナロが誰を想定しているかは、コウにはわからない。以前会った元婚約者かもしれない。嫌い合っているようには見えなかったし……
「よくわかんないけど……おれは、カナロがそばにいてくれたら、それだけでうれしいよ。ずっといっしょに……」
そこまで言って、それは叶わないのだと気づいた。自分とでは彼の願いは成就しない。わかりきった事実に今さら切なくなって、彼の手を強く握り返す。
「おれじゃ、ダメだもんね……」
どうにもならない気持ちを飲み込み、細い月が映る水面を見つめた。
今、この瞬間を共有することはできても、彼はやがて別の誰かと結ばれなければならない。コウはその背中を祝福する立場で、こんなふうに隣に並んで立つことはもうできない。
「……コウ」
カナロの声がわずかに上ずってかすれる。
「おまえなら、おれのそばにいてくれるのか?」
「!」
二人の視線がぶつかった。
種族の未来を思うなら、許されることではないかもしれないけれど。
「……うん」
握った手をそっと引き寄せると、自然にカナロが腕を伸ばしてきた。
二人は互いを求めるようにしっかりと抱きしめ合い、そして湖のほとりで二人だけの誓いを交わした。
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結局カナロもコウもアスナの学校を邪魔する現状は変わらない。