この際だから井上敏樹について語ってみる。

今度は8000字くらいある。前記事以上の覚悟が必要です。


ドンブラザーズ感想で井上敏樹についてできるだけ言及しないようにしようと思った結果、逆に関係ない思い出話や持論が出てきてしまったので切り分けました。
井上敏樹方面から見たドンブラ感想ともいう。

人生のかなり長い期間をあのオッサンにああでもないこうでもないと振り回されてきた、いちフォロワーの負け惜しみ的なお気持ち文です。
彼のことなんにも知らないけど、もし20年後くらいに訃報が出たら、弔辞にできるくらいの気持ちは入ってる。

「井上敏樹」をインターネットミームと捉えている人からすると、えっ目が笑ってない怖ッ……ってなってしまうかもしれません。いつだって本気だよ全力投球だよ(真顔)

以下出てくる人物名全て、敬称略。
全員に敬意あふれてます。


これはこの一年、私が溢れる気持ちを抑えきれなくてツイートしてしまった怪文書の一部。日付を見るとコンスタントに触れてるのウケる。

2022年3月13日
でも井上敏樹ってすごく度数の高い酒とか異臭を放つ珍味みたいなもんだから、釈由美子がマンホール投げてくるくらいの頻度でいいんだよという気持ちはある…一年も耐えられるか正直わからない

2022年7月4日
べつに私もトシキに詳しいわけではないです、小中高とトシキが贔屓してる同じ役者のキャラからトラウマ的なインスピレーションを受け、トシキ右の薄い本を持ってる程度です

2022年7月10日
あくまで私の印象で…
三谷幸喜は人物の印象を二転三転させて観客を振り回し最後には納得させるタイプだからそのキャラが好きか嫌いか見届けるまで判断できない
井上敏樹はまず自己紹介でぶん殴ってから意外性で蹴り飛ばすも第一印象を最後まで維持するタイプだからキャラの好き嫌いが明確に決まる
ドンブラでもたぶん最後まで好きになれないキャラが複数いる
でもそういう作家の世界だからいいんだよ

2022年11月14日
俺たちの世代は大なり小なり井上敏樹に汚染されているので若者はもっと抵抗してくれ
そんな年寄りの話はつまらんとアンチを叫んでくれ
前時代的な価値観を引きずる脚本にノーを叩きつけてくれ
カウンターをくり出してくれ
ドンブラザーズを成功させるな(過激派)

2022年12月5日

#この特撮が私の人格形成選手権
小学生にはジェットマンのトランザが最終回よりトラウマで…中学生でダイレンジャーの陣に歪まされて…高校でシャンゼリオンに何かを植えつけられて…大学で龍騎の先生と吾郎ちゃんに惑わされて…以来井上敏樹のカウンター的に書き続けてるのさすがに縛られすぎてるから

……松浦Pとどっちがヤバいかって話?


好きか嫌いかというのは、今となっては難しい話です。
クレジットに「井上敏樹」と出るたびがっかりすることも、腹が立って仕方ないこともあった、素直にわくわくできた時期もあった。
もうきちんと思い出せないくらい、落差のある感情に振り回されてきました。

全体的な印象でいうと、合わないほうではある。
私は恋愛ものに興味がないから、ヒーロー枠でまで見たくないなーと思う側だし。
あとやっぱり男尊女卑っていうかホモソーシャリティの強化っていうか、昭和のおっさんの価値観はビシビシ感じるので、そのへんはもう我慢しなくていいかと思ってるし。
ギャグはシュールすぎて困惑することもあるけど、今は映像の力もあって普通に笑えてるかな。不条理を楽しむ余裕ができたのかも。

原液というなら、舞台も観たことがあるし小説も読んだけれど、一貫して描きたいものが「男女の性」「人間の負の部分」なんだなあという印象でした。
そういう方向での「人間礼讃」なのでしょうが、小説家として出会っていたらかすりもしなかっただろうなと思います。

小林靖子や荒川稔久の「仕事なので求められたことをやってます」って感じが本来の好みで、だから「俺の話を聞け!」っていうタイプの、内面や価値観がにじみ出る系の作家ってあんまり好きじゃない。
ドラマは脚本だけで構成されているわけではなく、プロデューサーとか監督とか俳優とかたくさんの人の個性の結晶だということは、さすがにもう理解しているのですが。
それでも見えてくる作家性って、あんまり好印象じゃないことのほうが多い。

ジオウのキバ回で改めて痛感したのは、「御大節」と言われるだけの濃厚さなんですよね。こういうセリフがあったらこういう演出をせざるをえない、っていう方向に盛っていく。芝居や演出云々以前に、誰がやっても「井上敏樹の世界観」から逃れられないわけで。
だから俳優の芝居もそこそこ気になる側としては、この人の芝居ってこういうものなんだろうか、という判断がしづらい。中堅以降はちゃんと乗りこなしてくるけど、若手は微妙にわかんなかったりする。

でも、同人屋としての人格形成期にガツンと殴られてるから、好悪以前に意識はしてしまうわけで……
ああいうのを書きたいとか、逆にああはなりたくないとか、これはもうやられてるなとか、そういう基準になってしまってるんですよね。
「今自分が書いているものに最も影響を及ぼした作家」という意味では、どんな小説家よりも漫画家よりもダイレクトに井上敏樹が染みついているのかもしれない。

……大丈夫ですか、この激重感情についてきてますか。脱落者は置いていきますよ。


ひとつだけ信用してるのが、「万人に好かれるキャラクターを描かない」ということ。
この人に限らず「理由もなく生来の素質や血筋でモテる天然主人公」を避ける作家は信用できると思っています。

これは私の個人的嗜好だから、同意は得られなくてもいいけど。
二次創作でも「総愛され」シチュがすっかりダメになったし、関係ないキャラにまで好かれたり一目置かれたりする、いわゆるハーレム展開がどんどん信用できなくなってきてる。
これは、王道ヒーローが得意な三条陸とは真逆の傾向でね。三条陸は本当にすごい大御所だなとは思うけど、主人公に対する価値観がまるで合わないから苦手なのよね。

井上敏樹の場合、色気で異性を複数侍らせてるキャラはそのぶん多くて、そういうヤツのテンプレ感がまた鼻につく部分ではあるんだけど、そいつが作品内であまり好かれていない描写も入れてくるので、プラマイゼロっていうか筋は通ってる。
今回は犬塚がそれでした。性格はいいけど社会的には犯罪者。そのまま裏返したのが雉野なんだと思う。

でも昔は「万人に愛されないはず」っていう思想がいきすぎて、熱血漢や正義漢を風刺的に描くことが多かったんですよね。
だからゲストでちょっと入ると、普段はかっこいい主人公が、すごく空回りしたり三枚目になったりする。
それはもう意図的な、悪意すら感じる描写だったので、私は好きではなかった。まだヒロイックな三条陸のほうが受け入れられた。

ドンブラザーズは、自分にいちばん興味がある、自己愛の強いメンバーを揃えることで、そのへんの「悪意」をうまくごまかしたなと。
ジロウは「英雄志望だが内面が伴っていない未熟さ」、雉野は「平凡でつまらない人間の恐ろしい悪意」、猿原は「他人に持ち上げられている存在の危うさ・滑稽さ」、犬塚は「気取った男が周囲から受けている誤解」、はるかは「自己陶酔型ヒロインのみっともなさ」etc。
客観的に見るとかなりエグいながらも、全員そんな自分を否定はしてない。
だから観てる側も、彼らのそういうところを愛してると思う。もしくは、そういう部分もあるけどもっとステキな面もあるよ、とプレゼンしたくなっちゃう魅力を持っているんだと思う。

ソノイたちが、自分の好きな相手に対してはものすごい執着を見せるのに、仲間の「推し」には全く興味を示さないの最高なんですよね。桃井タロウは中心にいるけど、ソノニとソノザはタロウのことはわりとどうでもいい。
最終的には好みとはいえ、こういう描写を「しない」んじゃなく「できない」人が圧倒的に多いんだ……


まず大前提として、圧倒的に「上手い」んだよね。
好みはさておき、インパクトはとにかく強い。映像作品としての正解だと思う。
そのインパクトの与え方が技巧派だなって、今は思えます。
アニメでもドラマでも、テレビ番組としての「リアルタイムでのおもしろさ」に特化して好き放題やってくる。前後のことは考えてないように見える。破綻も矛盾も投げっぱなしもあるけど、ドラマが展開されるスピードは目まぐるしい。
この「一話で与えるインパクト・スピード感」って、なかなかできることじゃないと思うんですよね。

古い記憶でいうと、「ジェットマンはトレンディ」のアレ。
トレンディよりも私はトランザの物語がショックだった。少年だった敵幹部が、急成長して成人男性になって組織を支配するも、権力闘争に負けた末に精神病院にぶち込まれて終わる。トラウマでしかないじゃん。しかもジェットマン側は関係ないし。
精神病院ネタって、TFではガルバトロンが放り込まれてたし、ターミネーター2のママとかも印象的だけど、そういう時代だったんだよね。頓狂な話ではなく「ウケる」ことがわかっている題材だったわけですよ。今ならSNSの陰謀論にだまされる、みたいな。
みんなが好きな要素じゃなく「どういう意味かは理解できるけど、この流れで(子供番組に)入ってくるのは反則だろう」っていう要素を入れ込むのが得意なんでしょうね。
それが健全方向に振り切れると、カーレンジャーの浦沢義雄になるのかもしれない。
ドンブラザーズでいうと、サンタが不審者として逮捕される絵面みたいな。

自分の中でもかなり重い記憶なので深くは掘り下げませんが、響鬼のテコ入れ。
あの時期はアンチ井上敏樹でしたよ心から。
でも、ふり返ってみると必要だったとは思います。ていうか当時も「必要悪」という言い方で認めてはいた。
ゴールの見えない・魅力がわかりにくい物語に、力ずくでスピード感とゴール値をねじ込んできて、売上を回復させファンを取り戻したんだから。
逆風の中、ああいう舵の切り方をした白倉&井上に対して、今はすごいとしか言えない。

売上を伸ばせなかった髙寺響鬼の魅力を、白倉Pはムックのアンケートで「アマチュアリズム」と言っていました。
苦々しくもあり、妬ましくもあり……という気持ちだったのかもしれない。
白倉はネット黎明期に自分のサイトもあって、特撮オタクたちの考察や同人を観察しながら、今でいう「怪文書」を毎週出してたんだよね。こっちもそれを読むのが日曜のルーティンみたいになってた。普通に読み物としておもしろかったし。
ヒットを飛ばせるプロデューサーだからこそ、特撮ファンとしての「アマチュアリズム」を吐き出したい側面もあったのかもしれない。

クウガは本当に奇跡的な、その年限りの成功だったんですよね。
アギトも、クウガの次だったからいろいろ言われるのはわかってたと思う。そこに、白倉伸一郎は井上敏樹の一年フルマラソンをぶち込んできた。
キバもなんだけど、ふり返ってみるとすごくまとまった話なんだよ。解決してないことも判明してないこともある、でもちゃんと終わったなあって思える。すごく難しいことなんだろうなあというのは、できなかった人たちを見てるとしみじみ思います。

村上某が愛人ヅラしてますが……というかトシキが許してるんだから実際それくらい親密なんでしょうが、アレは三池崇史と窪田正孝みたいなもんかなと思っているので。
本妻?はやっぱり白倉なんだろうな。
まあ平成ライダー「シリーズ」を作った白倉が有能すぎたから、それが基準値になってしまって、今の令和ライダーが軒並みああいうことになっている気もしているのだけど。

井上敏樹や小林靖子の仮面ライダーもまた観たいけど、そこはグッと我慢して。
彼らだからできた平成ライダーであって、令和は私の同年代の人たちが新しいヒットの方法論を築いてくれることを期待しています。
エグゼイド・ビルドのあたりはわりと期待が持てたんだけどな。ゼロワン以降、もがいてるよな。


話を井上敏樹に戻して……

男同士の関係は、なんだかんだとやられてます。
ドンブラで初めてタロウとソノイにやられた人たちを横目に冷静ではあったけど、まあ通ってきた道なので……冷笑はできませんでした。
あと20年若かったら確実にやられてた。

ダイレンジャーはさ、そもそも的場陣自体が井上敏樹のキャラだったんだよね。当時はまだ普通に(?)見てたのであとで知りましたが。
アレを食らっていたおかげで、「タロウが倒れたソノイを拾って持ち帰り甲斐甲斐しく看病する」展開が来ても驚かないぞと思えたもんね。的場陣の俳優さんが当時すごく好きだったのですが、まあ井上敏樹御用達みたいなポジションだったんで、自ずと当たりに行っちゃってる感じになりました。

仮面ライダーブレイドなんか、ゲストの桐生さんにハマりすぎてそこだけDVD買っちゃったからね。ブレイド観てた人でも誰?ってなるキャラだと思います。でも井上敏樹のうさんくさいキャラを、童顔ヒゲで中和してくれたかわいいおじさんです。

龍騎は、小林靖子と井上敏樹の戦いでもあったんだろうけど。
関係性萌えを自称するなら必須科目でしょう。全てがそこにある。関係性とキャラ性のイオンモール。
(余談ですが、なんでもあることの比喩「○○のデパート」を「○○のイオンモール」と表現しているのTwitterを見て、確かに…と納得しました)
北岡と吾郎は今でも語り尽くせないので「アレはすごいよ」と流してしまうくらい、まあすごかったです。おかげで翌年のファイズの記憶がほとんどない。私はずっと龍騎に残留してた。

たぶん男同士がイチャイチャしてるのが根本的に好きなんだと思うよ。シャンゼリオンとか。
男女だと恋愛になっちゃうから、セックスしないぶん高潔で尊い存在なのか。
いや、恋愛じゃない男女の関係もけっこう書いてるはずなんだ。シャンゼリオンとか。
実は男女の友情みたいなところにも興味があったのかな。
シャンゼリオンは、女好きなチャラい主人公が、とくに成長もせずにチャラチャラしつづけるだけの作品です。敵のほうがクソ真面目。今流行りの日常モノ……?的な……?
ドンブラザーズを観ながらどうしてもシャンゼを思い出してしまうのは、あの男女複数人がゃわっちゃわっちゃしてる「だけ」のドタバタ感、スラップスティック感なのかも。
この世界は現実じゃないかもしれない、でも今ここでワイワイ遊べてるからいいよね、楽しいよね、みたいな感覚……わかる?

ハードな世界観や展開(俗に言う「地獄」ってやつ)がどうしてもインパクトあるからセンセーショナルに取り上げられるけど、ホントは「その場で仲良くしてるみんな」が以外と好きなのかも。
好き嫌いじゃなく、子供番組としての最後のラインだと考えてる可能性もあるけど。

これもね、脚本家によっては露骨にヘタクソな人たくさんいるから。アニメでもドラマでも、大河ドラマでも朝ドラでも。
どうしてもメインキャラにフォーカスしてしまう、話を進めるのが先行してキャラ描写ができない、現場に丸投げする……プロでも明確に向き不向きがあるみたい。
例えば荒川稔久は群像劇が本当に上手。大人数を勝手にワイワイさせないで、その場の全員にリレー形式でセリフを割り振ってるのね。その割り振り方や、シチュエーションでの言動でキャラを出してくる。だからドラマがどこにフォーカスしても、戸惑わずにキャラが動いていく。一話の中で複数のラインに話を振っていける。
気づいたときに「すげー!」って衝撃だった。
(つまりそこに気づくほど、ダメなパターンを見てたってことなんですが…)

だから、「みんなでワイワイ」がちゃんと楽しそうに見えるのって、すごく難しいんですよ。キラメイジャー然り、ゼンカイジャー然り、そしてドンブラザーズ然り。
関係性がしっかり明示されてるってことだから。
そこにキャスト同士の仲良し感とか見えたら逆にダメだと思ってる。それは劇団であって映像作品ではないのよ。

……持論が走っておりますね。まだ残ってる人、いますかね。


タノロイにそこまで前のめりにならなかったとき、井上敏樹を乗り越えたんだ、勝ったんだ!と思いました。
でもたぶん、向こうも「究極形」を出してきたからなんでしょう。
なにも足そうとは思わなかったし、互いを倒して全部終わったんだなと感じました。あとは消化試合で、その関係性自体をネタにしてもかまわないターンに入ってる。

そもそも、二人が「井上敏樹のパロディ」みたいなものだった。
亮と陣であり、暁と速水であり、北岡と吾郎であり、音也とガルルであり……その全部を、自分で「いつものパターン」として笑い飛ばしているようにも見えた。
ソノイの過剰にウェットな感傷、タロウの無意識な依存の先に、おでん屋があって喫茶どんぶらがある。それはもうギャグではないのか。

って思ったらなにかこう、勝手に成仏しましたよね。私の中の怨念も。

でも、今の私がすでにその味に満足してしまっていたから、もう必要としなくなっていたからということかもしれない。
他の作品から摂取できていたり、なんなら自分で生み出すこともできる。もう「ちょっと苦手な食材が入ってるんだよね」って言いながら井上敏樹の料理を食べなくてもいい、100%自分の舌に合った料理がすでにあるから、かもしれない。

あとね、私は「強い絆で結ばれた直後に永遠の別れが訪れ、片方だけが残りの人生を生きていく」っていうのがキモなんだと勝手に思っていたけど、そうじゃなかったのかも。
陣を失った亮が年老いるまで生きて孫が戦うのを見届けるとか、音也を失ったガルルが息子の支援をするとか。そういうのが私は好きだった。
でも向こうとしては、新しい世界で先生と吾郎ちゃんがずーっとヒゲクマになるまで(笑)楽しくやってるのでもぜんぜんかまわないのかも。
いやずっと先なんかどうでもよくて、彼らの楽しい時間を視聴者と共有できればいいのかも。
タロウとソノイが早々に「結ばれた」時点で、私の興味の範疇から外れたという見方もできる。

タロウとソノイは、殺し合ってそのあと何もなかったみたいに仲良くなってる。大人の都合でタロウは今後何度でも戻ってくるから、ソノイが退場しない以上「永遠の別れ」は成立しないと私は思ってる。
最初の「タロウを殺すソノイ」を超える衝撃は、もうタロウにもソノイにも私にも訪れないわけで。
こう、ビールの一口目というか、トンカツの最初の「ざくっ」というか、最初の旨みだけ味わうための装置みたいな。

そういう、いちばん美味しいところだけを食べる感じ、昔は邪道な気がしてたけど、ぜんぜんありだなと思います。みんな、メロンパンのカリッとした皮だけ食べたい欲求あるじゃん。だからそういう商品が出たりするじゃん。

でも私はできないんだよなあ。このネタも、Twitterじゃなくブログ書いてるくらいだものなあ。
乗り越えたんじゃなく、道を変えただけなんだろうなあ。


そんな感じで、いつもどおりオチや結論はないです。
おつき合いくださりありがとうございました。
一年間、割らない原液を摂取しつづけたのでもうしばらくはいいかな……

今のところドンブラザーズの話をもうしたいと思わないのは、そういう心理です。
井上敏樹から社会復帰する時間をくれ。