【SS】オーズ(再掲)
ビルドの清々しい喪失感って、直近だとどのライダーに近いかなと思ったら自分的にはオーズだった。
当時最終回直後に書いた話を今読み返して、やっぱり近いなあと思いました。正直これ以上はなにやっても蛇足感しかなくて書けなかったことなどを思い出しつつ、喪失感のベクトルを逸らしてみる。
ということで以下に置いておきますが、リアルタイムで併走してきたSS群がないと軽いかも。7年前ゆえの拙さは目をつぶってやってください。
カップリングは映司とアンク(左右はお好きに)ですが、これは信吾さんのお話です。そういうのが書きやすいらしい。
つい青空を背景にしてしまうのは、クウガの刷り込みかなあ(笑)。
——————————–
【掃除と涙と旅立つ日】
車から降りて空を仰げば、どこまでもつづく青さが眩しい。
まだ夏は終わっていないけれど、風が少しばかり心地よくなってきた、そんなある日。
退院したばかりの信吾は、妹ともにその多国籍料理店を訪れた。
「臨時休業」の紙が張られたドアを開けると、営業していないはずの店内には美味しそうな匂いが立ちこめている。装飾だって開店時と遜色ない。
キッチンからエプロン姿の店主が出てきて言うには、「今週から南国フェアなの!」だそうだ。
「映司くんがいなくなっちゃってお店まで暗くならないように、普段の二倍明るくいくわよ!」
そう叫んで拳を突き上げる知世子に、比奈も負けずと腕をまくる。
どちらも空元気に近いとはわかっていたけれど、信吾はなにも言わずに微笑んだ。
「なにか手伝うよ」
妹のあとにつづいてキッチンへ向かおうとすると、有無を言わさぬ力で押しとどめられる。
「いいから、お兄ちゃんは座ってて」
「でも……」
今さら客でもないのに。そう信吾が言いかけたとき、二階から物音がした。
「映司くんは、まだ上ですか」
「掃除してくれてるの。立つ鳥跡を濁さずですって。ほとんど汚れてないのにね」
知世子が肩をすくめる。
今日は映司がこの店を、日本を出ていく日だった。
最後にみんなでランチを、という知世子の提案で、しばらくしたらバースの二人……いや三人も現れるはずだ。
「じゃあ、おれは映司くんを手伝いに……上がってもいいですか?」
「もちろんですよ、だってあそこはあなたたちの……」
満面の笑顔で声を張り上げた知世子は、そのままの顔で言葉を切った。
「いえ、どうぞ。映司くんも助かると思うわ」
「……そうですね」
知世子も、信吾自身も、まだその違和感を引きずっている。こればかりはどうしようもなかった。信吾も、自分がどうふるまっていいのかよくわかっていない。この先もわからないだろうけれど。
自宅のように慣れた階段を上がり、開けっぱなしのドアを覗いてみる。
映司はいなかった。
向かいの納戸の扉も開いているから、きっとそこにいるのだろう。
久しぶりに足を踏み入れた屋根裏部屋は、妙にくすんで見えた。ベッドにも、目の高さにあるソファにも、地味な色柄の布がかけられているせいだった。生活感はきれいに拭い去られ、今夜からここで暮らす人間はもういないのだと、いやでも知らされる。
狭い部屋を横切り、カーテンが揺らめく窓に歩み寄った。
吹き込んでくる風が乾いていて、夏の終わりを告げている。見下ろせば、物置の屋根に靴の跡。信吾は思わず苦笑した。さすがの映司もここまでは気が回らなかったらしい。
物音がして振り返った。
明るい外から部屋の中へ目を転じた瞬間、視界が真っ暗になる。だが戸口に映司が立っているのはわかった。
「手伝おうと思ったんだけど……遅かったかな?」
「……もう終わりました」
少しの間があって、映司が答える。納戸には掃除道具をしまってきたのだろう。
それじゃあ下へ行こう、とはどちらも言い出さなかった。二人は向き合ったまま、戸口と窓辺に立ちつくしていた。
「……一瞬、信吾さんだとわからなくて」
「アンクだと思った?」
映司は照れくさそうに笑う。
「……逆光だったから」
日差しに目がくらんでいる信吾も、映司がよく見えない。二人は同時に足を踏み出し、お互いが見える場所まで進み出た。
片づけの終わった部屋では腰かける場所さえなく、信吾は所在なく部屋をもう一度見まわす。見慣れたものばかりだ。
古い洋服箪笥。
上から二段目には、映司とアンクの服が入っていた。映司が馴染みの古着屋でもらってきたり、比奈がアンクのうるさい好みに合わせて作ってくれたり……だが引き出しを開けるまでもなく、そこにもう服が入っていないことを信吾はわかっていた。
アンクの「巣」だったソファ。
最初に知世子がこの部屋のベッドとソファを提供したとき、映司はアンクにベッドを譲ると言ったのに、アンクは寝心地よりも映司を見下ろせる高さを取った。彼は彼なりに不安だったのだ。人間と同じ目線で生活することが。
信吾はその不安を知っている。ついでに、あの高さと狭さで眠る窮屈さも。
「ソファ、あのままなんだ?」
笑いながら映司を見やると、彼も笑っている。
「知世子さんが、動かさなくていいって……床面積が広くなっていいじゃない、って言ってました」
彼女らしい言いぐさだ。
でも、ほんとうの理由は。
「ほんとは、アンクがいた証拠を残しておきたいんだと思います」
「うん……」
ここは、グリードの彼が初めて、人間の中で人間として暮らした場所だった。知世子は知世子なりにその意味をわかっているのだろう。真実を知ってなお、彼女にとって、彼は今でも普通の人間、「映司くんのお友だちのアンクちゃん」なのだ。
信吾は自分の寝床だったソファから、映司のベッドへと目線を移した。つられて映司も目を落とす。
「あ……」
二人は思わず互いの顔を見やり、それから気まずさに視線を逸らす。同じ連想をしたことはあきらかだった。
「身体……だいじょうぶですか?」
「ああ、うん。どこも悪くないよ」
「えっと、ちゃんと検査とかしたほうがいいです」
「復職用に診断書作るから、そのときにね」
「そうですね……」
遠回しで歯切れの悪いやりとりはすぐに途切れ、二人はまたベッドを見下ろした。
機嫌の悪いアンクがストレス解消の相手に映司を選ぶ、まではありそうなことだった。だが映司にとっては守るべき人を傷つける選択になってしまい、信吾にとっても身体を勝手に使われる以上の意味を持った関係が、このベッドの上で始まった。
思い出すだけでも顔が火照るアンクの暴挙をなんとか頭から振り払おうとしながら、口を開く。
「映司くんには……ほんとに感謝してる」
「え?」
映司の顔を見て、唐突だったなと苦笑した。
「一歩まちがえば、比奈や知世子さんが犠牲になってたかもしれない。後藤さんだって危なかった。映司くんが全部引き受けてくれたから、おれは戻ってこられたんだ」
「そんな、おれのほうこそいろいろムチャさせて……」
髪をかきまわし、映司は照れているのかうつむいた。
「それに……必ず、つけてくれたし」
信吾はアンティークな小物入れの引き出しをちらりと見やる。それだけで映司にもなんのことかわかったらしい。
「アンクの協力あってこそですけどね」
欲望のままに貪ろうとするグリードに、セイフセックスの習慣をつけた映司にはもはや呆れるレベルで感心するしかない。
「アンクも、だんだんそれがあたりまえだと思うようになったからね」
「そうだったんですか」
アンクの気持ちを自分のことのように語る信吾に、映司は驚いているようだった。
たしかに、アンクは映司に自分の心境など語ったことはほとんどない。行動に表れるのは、苛立ちや怒り、反抗心にせいぜいが好奇心。その裏でアンクがなにを思い、どう感じていたかを知っているのは、信吾だけだった。
だが、アンクが去った今、それを勝手にさらけ出していいものかという迷いもある。彼には彼の、傲慢すぎるほどのプライドがあるのだから。
アンクの思いを映司に全て伝えたいという衝動を抑え、信吾は話題を強引に自分へ向けた。
「そういえば、冬もありがとう。正直ここは寒くてね。おれ、男のくせに冷え性でさ……」
「だから、感謝されることはなにもしてないですって……」
うつむいたまま赤くなった耳と首筋を、信吾は微笑ましい気持ちで眺める。
今は夏だが、ここで暮らしはじめたときは冬になろうとしていた。寒さなど感じたことがなかったグリードは、信吾の身体でかなりつらい思いをしただろう。アンクはあれこれ理由をつけては映司のベッドにもぐり込んだ。
「アンクはおれのことを湯たんぽとしか思ってなかったですよ」
そんなことはない。
映司の体温が、鼓動が、呼吸が、アンクにはたまらなく心地よかった。彼がまがい物ではなく本物の鳥であったなら、きっと「巣」というのはこんな感じなのだろうと思いながら、映司の懐で眠りについていた。
だがアンクはそれを映司に告げようなどとは思わなかったし、もし知られたら屈辱的だと怒り出すかもしれない。
信吾はアンクのプライドのため、曖昧な笑顔の下に本心を隠しておくしかなかった。
「風呂までいっしょに入ってくれたね」
「そうそう、すごく狭いのに」
「風呂上がりにアイスを二本食べようとして、取り上げられた」
「あはは、全部覚えてるんだ……あいつ全部で何本食べたんでしょうね……」
笑いかけた声が、ふっと揺らいで消えていく。
「すいません……なんかちょっと、いろいろ思い出しちゃって……」
気丈にふるまおうとした声を詰まらせ、映司は真下を向いて前髪に顔を隠してしまった。
「映司くん……」
「今まで平気だったのに、おかしいな……でもしんみりしてちゃダメですよね……あいつに笑われる……」
それはちがう。
彼の死を受け入れるのと、悲しいと感じる心は別次元の感情だ。
最後にアンクが信吾から離れる直前……彼はたしかに幸せだった。渇望した命……死を手に入れ、映司と全てを与え合う対等な存在になって、その器は完全に満たされていた。
だが、映司のほうは確実に失ったのだ。大切な、とても大切な存在を。映司は映司の心で、アンクの死を受け止めなければならない。
「映司くん」
「あの、ちょっと待っ……」
彼の言葉を無視して、信吾は映司に両腕を伸ばす。
「え……」
今にもこぼれ落ちそうなほどの涙をたたえた瞳と、一瞬目が合った。
そう、それでいい。
信吾は微笑んでみせ、そして自分と同じくらいの長身を抱き寄せた。互いの顔は見えなくなり、その代わりに相手の鼓動を感じるようになる。
「信……」
すぐ横にある耳元に、言い含めるように囁いた。
「アンクは幸せだったかもしれないけど、おれは悲しかった。おれはアンクじゃないから」
だから、きみも。
「……我慢しなくていいんだよ」
「あ……」
太い腕できつく抱きすくめられたと思った次の瞬間。
「―――…っ!!」
映司の咆哮が信吾の耳をつんざいた。
「アンク……ァンク……ッ!!」
信吾の思ったとおり、映司はまだアンクの死に涙を流していなかった。
アンクの気持ちを大切に思うあまり、またしても自分の心を置き去りにしようとしていた。それはアンクの望むところではないのに。
同じ時間を過ごした部屋の真ん中で。
泣きわめいて、何度もその名を呼んで。
「アンクぅ……っ」
周りの大人たちのだれよりも大人びて見えていた青年は今、大声で泣きじゃくる幼い子供だった。
全ての人間を愛し、全ての人間を救おうとした貪欲な腕は今、信吾に縋りつくためだけの頼りない腕だった。
信吾は黙って、彼の背中をさすっていた。
「……すいませんでした」
信吾の肩に頬を乗せたまま、映司は涙声で囁く。
信吾は彼の背中を軽く叩いた。幼いころ、泣き虫の妹をよくこうして慰めていたことを思い出す。あのころから骨が軋むような抱擁を受けていたことを思えば、映司の一人や二人などかわいいものだ。
「落ちついた?」
返事の代わりに、小さな笑い声が返ってくる。
「なに?」
「……比奈ちゃんに、お兄ちゃんを取るなって言われるかなって」
信吾も笑う。
「一年もアンクに貸し出してたんだ、今だけ映司くんに貸すくらいなんでもないだろ」
「そうかなあ……」
もそもそ呟きながらも、映司は離れようとしない。鼻をすすりながら、信吾の肩や首に頭を押しつけている。
弟……と思ったことはないし、そういう感覚を阻む関係が二人のあいだにあることも事実だが、今は比奈に対する庇護欲と似たようなものを感じていた。
だれの助けも必要としなかった、他人の手を握ることさえ知らなかった彼が、不器用ながらも信吾に甘えている。信吾がアンクだったころには、考えられない状況だった。ずっと彼のそばで彼に守られてきた信吾には、その「成長」がうれしくてたまらない。
「比奈にはおれが言っておくから。いつでも借りにおいで」
冗談めかして言うと、映司はくすくす笑いながらようやく顔を上げた。
「ブラジルで泣きたくなったら、たいへんですね」
「うん、どうしようか……」
信吾は映司の前髪をかき上げて、真っ赤な目を覗き込む。普段から重い右のまぶたは、泣きはらしてさらに開かなくなっていた。
「……信吾さん?」
初めてのはずのこの距離も、アンクのおかげで抵抗はない。もっと近かったこともある。距離など……パーソナルスペースさえも、あってないようなものだった。
濡れた頬を両手で包み込み、涙を親指で拭う。
それから、数センチしか離れていない唇に口づけた。
「……!」
映司が目を見開くのが見えた。
「これでおあいこだ。もうおれは、きみとアンクがしたことに文句が言えなくなった。おれも、二人に無断で勝手にしたからね」
「……………」
呆けた顔で信吾を見つめ、映司は唇を震わせる。なにか言おうとしたのだろうが、言葉はなかった。
二人はそれ以上近づくことも離れることもできずに、抱き合い見つめ合っていた。
不意に、階下が騒々しくなる。
「後藤さんたちだ!」
映司は信吾から身体を引いて、袖でごしごしと涙を拭った。
「泣いたの、バレバレですかね」
「うん、バレバレだね」
それ以前に、あれだけ大声を出せば比奈も知世子も聞いていないはずがない。駆けつけてこなかったのは気を利かせてくれたのだとは思うが、もう隠しようがないことだけは決定だ。
「別れの日だ、泣いてもおかしくないよ」
「笑顔で別れるのが、おれのポリシーなんですけど」
映司は箪笥の上の鏡を覗き込んで、「あーこれはひどいな」などとぼやいている。
「あきらめなよ、映司くん。それより早く行かなくちゃ」
促すつもりで、信吾は映司の手をとった。
大きな手は驚いたようにぴくりと震え、しかしすぐに力強く握り返してくる。
「……はい!」
その手を引いて歩き出すと、映司は思いついたように空いた手をポケットに突っ込んだ。
硬いものがぶつかる音。
握りしめられた赤いメダルを思い、信吾はひとり微笑んでいた。
(by NICKEL, Aug, 2011)