部活動の先(ハイキュー感想+α)
その季節特有のふわふわした空気がどうしても苦手だった。
とにかく、クラスの女子や女バレ部員がむりやり配布してくる義理チョコも、数年に一度忘れたころにやってくる本命チョコも、全部が鬱陶しくて、興味ないふりしてそわそわしてる男子連中にも全く共感できなくて。周りが盛り上がれば盛り上がるほど、こっちのテンションはどんどん下がる。
最悪なのは、こっちがバレー部だからってバレーボールのかたちした手作りチョコをデコってくるやつ。ナメてんの、って言いたくなる。発想が安直、やりなおし……なんてことは言わないで、ただ受け取り拒否。
甘いものは嫌いじゃないのに、この時期はチョコレートって単語にも食傷気味になる。
それでも今はいちおう大人だから、子供の時みたいに意地張ったりはしない。
「これ、月島くんにも」
「ありがとう」
昔は絶対に受け取らなかった義理チョコだけど、気にしすぎるのもばかばかしくてやめた。もちろんホワイトデーなんか知らない。向こうが好きで配ってるんだし。義理チョコのふりした本命チョコも、平等に美味しくいただく。
意味とか気持ちとかを外してしまえば、ただのチョコなんだから。
チョコに罪はない、っていうのがこの二十年の結論だ。
「おっ、なにそれバレンタイン?」
うちに来た東峰さんが、テーブルの上に置いてある何個かの包みや菓子を目に留めた。
さすが月島だなあ、かっこいいもんなあモテるよなあ、とかどうでもいいことを言いながら、ひとつひとつ並べていってる。楽しいんだろうか。あとべつにモテてないし。
「全部義理です。開けちゃってください。好きなのあったら食べていいですよ」
コーヒーを淹れながらそう言ったら、「えええ」と力の抜けた声が返ってきた。
「ドライだなおまえ……」
そうかな、と首をかしげるが、東峰さんからは見えない。
マグカップを持っていくと、ラッピングがしてあるのは丁寧に開けられて、今日なにをもらったのか自分でもやっと把握した。
中に手作りのがひとつ混じってることに気づいてつまみ上げる。
「さすがにそれは自分で……」
「え、なんですか?」
苦笑してなにか言いかけた東峰さんに訊き返しながら、そのチョコをゴミ箱に入れた。
「ちょっ……なんで捨てんの!?」
思っていたよりすごい剣幕で言われて、こっちが驚いてしまった。
「え、だって怖いじゃないですか。衛生面とか。味の保証もないし」
授業が重なってるからけっこう話すことも多い子だけど、料理が得意がどうかなんてぜんぜん知らない。成分表示してあるわけじゃないし、もし嫌いな食べ物とか入ってたらフレーバーでもイヤだ。
わりとフツーの感覚デショ……と思ってたのに、彼は呆然とゴミ箱を眺めていた。
「だって手作りってことは本命だよ……ドライにもほどがあるでしょうよ」
「その子、会う人みんなにあげてました。作るのが好きな女子っているじゃないですか。バレンタインは口実なんですよ」
もらってあげるまでは礼儀だと思うけど、そのあと食べるか食べないかはぼくの自由だ。そのへんわかってる子は、ちゃんとそこそこ安めの菓子にしてくれる。空気読まないほうが悪い。
「そういうもんかなあ……」
首をひねりながら、目の前にある(市販のチョコの)箱を開けて、個包装の袋を破る。それからふとなにかに気づいたように、顔を上げてぼくを見た。
「とりあえず最初の一個は自分で食べなさいよ」
東峰さん的には、それが礼儀というものらしい。本人が見てるわけでもないんだから、と思ったけど、顔の前に突きつけられたら口を開けるしかない。
放り込まれた茶色いブロックは、やわらかくて口の中ですぐ溶ける。生チョコだ。パキッとしたやつより好き。
「お、これたぶん味ちがうぞ」
東峰さんが同じ箱から色のちがうパッケージを出して開けている。
「ほんとですか」
ぼくはコーヒーで口の中のチョコを飲み下した。
「ええと……おまえが食べたのが普通ので、俺のが濃厚……」
そのとき、なんでそんなことを思いついたのか。
とにかくぼくは東峰さんのほうへ身を乗り出して、こっちを向いたタイミングで唇を重ねた。
「んっ!?」
とっさに引こうとする頭を押さえて唇をこじ開ける。
インスタントコーヒーをかき消すくらいの、チョコの匂い。溶けたチョコの感触、官能的な温度、眩暈がするほど甘い味。
「ぅん……っ」
相手の口の中にあるチョコを全部舐め取って、それから解放してあげた。
「濃厚、だったような気がします」
「……わかるわけないだろ今ので!」
上ずった声で叫んだ彼はコーヒーをぐいと飲んでから、「熱っつ!」とまた叫ぶ。眼鏡を押し上げてそんな先輩の姿を眺めながら、これを期待してたんだなってようやく自覚した。
「ああもう、おまえって子は……」
口元を拭ってから、彼は大きな手でぼくの頭をわしっと掴む。ボールみたいに。それからぐしゃぐしゃと髪をかきまわした。
「なんですか」
仕返しかな。確かにバカにされてるみたいで人にやられるのはムカつくけど、この人にはあんまり腹が立たないから意味ないな。
「おまえみたいな男に引っかかったら女の子かわいそう! だから当分は俺で我慢しときなさい!」
「なんなんですか……」
女の子引っかけるつもりもないですし、今もべつに我慢なんてしてないですけど。当分、ってことも思ってないですけど。
って言いかけてやめた。季節行事の雰囲気に飲まれたみたいで癪だから。
でも、と他の袋を開ける。
チョコに罪はないんだ。
東峰さんの口元に持っていったら、笑ってるのか困ってるのかよくわからない顔で口を開けた。
そして……チョコを持ってるぼくの指ごとくわえ込んでしまう。
「うあっ」
予想しなかった事態に、つい変な声が出た。
チョコを奪った彼は、ぼくの指先を舐めてから離れていった。口の中でチョコの塊を転がしながら、おもしろそうにぼくを見る。
「ココアの粉、ついてた」
「……!」
ああ、癪だな、悔しい。自分には関係ないってずっと思ってたのに。
彼の舌の感触が残る指を舐めながら、こみ上げてくる実感を認めないわけにはいかなかった。
ぼくは今、すごくふわふわしてる。